会社概要

社 名 有限会社 鈴木葬儀社
創 業 明治12年(1879年)
住 所 〒168-0063
東京都杉並区和泉1-1-14 鈴木ビル2F
TEL. 03-3328-0921
FAX. 03-3328-0126
suzuki@sougi.com
http://www.sougi.com(当サイト)
http://www.funeral.co.jp
http://jwwp.jpn.org
事業内容 葬祭コンサルティング
葬祭用具の販売・レンタル
霊柩自動車
仏壇・仏具の販売・レンタル
その他
*弊社は葬儀専門会社です。
加盟団体 全日本葬祭業協同組合連合会加盟
山手葬祭業協同組合加盟
エンディングセンター会員

沿革
弊社(と言うより私ども一族)は明治12年(1879年)、この地に初代鈴木紋太郎が葬列の人夫の手配や葬具の制作販売という葬祭に関係のある商いを始めたのが始まりです。紋太郎が葬祭業を創業以来、私どもは141年間、四代に亘り、一重に地元に密着し、且つ変化し続けてきた葬送儀礼という人生最後の旅立ちのお手伝いをさせて頂いてきました。

歴代当主

初代鈴木紋太郎は、嘉永6年(1853)8月11日、浦賀にペリー提督が来航した年に生まれました。その後も安政の大獄や桜田門外の変などがおこる江戸時代の末期です。
慶応3年(1868)1月10日には父虎蔵を亡くし15歳にして当主に成らざるを得ませんでした。翌年には体制奉還、戊辰戦争があり江戸時代が終わり明治へと社会的に大きな変化がおきる時代です。

当時の葬儀は、集落が総動員で行っていた様ですが葬祭業が一般にも出来つつある時代でもあり、明治12年26歳にして葬祭業を地域の要望もあり始めています。
元々、集落の長を務める家系であり葬送儀礼を取り仕切る事をしていた様です。記録にあるものでは紋太郎の長男上衛門(二台目確童の兄)は明治・大正時代ですが村長をしていた様です。
その後も日清戦争や日露戦争の時代も経験しますが葬祭業を続け第一次世界大戦の始まった大正3年(1914)1月13日に生涯を閉じています。紋太郎の生涯は社会構造の大変化及び戦争とは切っても切り離せないものでありました。


二代目鈴木確童は、明治28年(1895)9月28日、日清戦争の年に生まれています。
確童の人生も前半は戦争とは切っても切り離せません。日露戦争、第一次世界大戦の時代と続きます。当時は葬祭業だけでは生活が出来ずに材木屋と茶屋も営んでいました。実際葬祭業よりも後者の2つの商いの方が大きかった様で材木の職人が葬儀の仕事が入ると棺などを作っていたとの事です。

更に時代は進み、第一次世界大戦が終わってからは徐々に葬祭業だけで生計が立ちそうな時期もあったそうです。
しかし、第二次世界大戦が近づく戦時統制経済下では、葬祭業界も統制下に入り昭和10年に戦時統制組合である東京葬祭具商業組合が作られて棺材も配給制となり物資が少なくなり、また職人も兵隊にとられ生活するだけでやっとであった様です。
戦後は葬祭業のみで生計を立てられる様になって行きます。しかし、土葬から火葬へ葬儀が大きく変化していく時代を経験し、それに対応するのが大変であったとの事です。
昭和56年6月13日に生涯を閉じています。


三代目鈴木哲夫は、昭和6年(1931)9月11日に生まれています。第二次世界大戦の前に生まれていますので幼年期には戦争の時代を経験していますが戦後は平和な日本で葬祭業に専念して現在に至っています。
哲夫の時代は経済の高度成長期を抜きには語れません。この地では葬法も土葬から殆ど火葬に移行していた時代、経済の成長と供に布掛け祭壇から段数や幅が大きくなり白木の彫刻祭壇、花祭壇へ、霊柩車もリヤカーからガソリン車と変化していきます。 他の変化としては互助会や農協等の葬祭業界への参画により元々の葬祭業者が危機に瀕していた時も経験しています。また死を迎える場所が自宅から病院へ移り葬儀の式場も自宅から葬儀会館へと移り変わる過渡期も経験しています。

現在、一般的と思われている葬儀のスタイルが出来上がった時代であると言えるでしょう。余談ではありますが実の姉である日出子が昭和28年に米国人のバーンズ・アンドリュー・アップルゲートと結婚した事により海外旅行が解禁される前より豊かな米国の影響を現地で受ける事ができて一味違う葬儀屋になれて現在があるとの事ですです。
平成28年1月5日に生涯を閉じています。


四代目、現在の社長である晴之は、昭和44年(1969)7月7日に生まれました。小・中・高は地元、杉並区・世田谷区で卒業。大学は鹿児島で工業大学を卒業後、建築関係の会社に就職し設計を仕事にしていました。
現在は、より良いお別れの時間と空間を作るお手伝いをするには如何にするべきかを悩みつづけております。

私は、葬儀とは何か!と自問自答しています。何の為、誰の為に行うのかと。しかし、答えは見つからないかもしれません。
確かなことは、愛する者との死別は、非常に悲しい人生における惜別であるということです。

人は、生れながらにして死すべき存在として誕生します。故に死もまた人生の一つの側面ととらえ、より良く生きる為には、ただ忌むべきことと眼をそむけるだけではなく真正面から見つめることが不可欠だと思います。

人生の幕がいつ下りるかは定かではありません。そして、人生は都合よく幕を下ろしてもくれません。全てを人まかせや、一人よがりも良くありません。「死」は、その方だけでなく縁のあった全ての方々につながる人生における重大事だからです。私はキリスト教徒ではありませんが、聖書の中に好きな言葉があります。

「弔いの家に行くのは酒宴の家に行く事に勝る。
そこには人皆の終わりがある。
命あるものよ、心せよ」
コヘトレ7:2

私どもは、同じ立場の人として、より良い「お別れ」の為に時間と空間を貴方と共に考えるパートナーでありたいと望んでいます。

代表取締役社長
鈴木 晴之